RID2620 Rotary Family

留学から現在まで

留学から現在まで

投稿日: 2025-05-23学友インタビュー(山静学友会)

望月 昭宜(1990-1991年度・国際親善奨学生)

1 自己紹介をお願いします

1990-1991年に国際親善奨学生として、英国イーストアングリア大学で開発経済学を学んでいました。御存じの通り、英国は第二次大戦までは、世界中に植民地をもつ大帝国でした。

旧植民地は戦後独立したは良いが、それぞれの国は貧しく、紛争も絶えないという状況でした。これが、英国において途上国の経済発展を目的とする“開発経済学”が盛んになった、背景であると思います。開発経済学を学んで、途上国の為に何かできないかなと留学中は素朴に考えていました。

人生とは中々思うようには行きません。留学後は日系の機械プラントメーカの海外営業を経て、外資系企業で石油化学工場向けの制御装置や計測機器の、技術営業をするという事になりました。途上国で仕事をするという事は無かったですが、営業マンとして多くの国で仕事をする事になりました。アメリカ.カナダ、ベネズエラ、メキシコ、コロンビア、韓国、中国、インドネシア、欧州と色々な国で仕事をしてきました。色々と思い出深いですが、一番の思い出はイラン向けの輸出案件の事です。

2000年の初頭、アメリカとイランの緊張が高まり、高度技術を持った製品に輸出規制がかかりました。私の担当していたイラン向けの製品が、この規制にかかり出荷出来ないという事になりました。これを回避する為に日本の工場での生産を止めて、オランダ工場から出荷する事になりました。客先の出荷検査は当然オランダで行われます。担当者の私も当然、オランダに出長となりました。ここに落ち着くまで、連日の会議で大変でした。紛争の現場には行きませんでしたが、イラン=アメリカの経済紛争に巻き込まれた一幕でした。

2 現在の仕事や取り組んでいる事柄は?

最後の外資を退職してからは、会社組織には属していません。生活の為には貴金属投資をしたり、町工場をやっている叔父の為に図面を書いたり、簡単な技術計算なんかも偶にしてます。余暇の時間はプレイバックシアターという、アメリカ生まれの即興再現劇の劇団に属して活動しています。

3 ロータリファミリーに参加したきっかけは?

大学生時代は国際関係論を専攻していまして、留学は是非したいと思っていました。しかし、資金が無いので社会に出てお金を貯めて留学をしようと思っていました。留学情報を色々と調べている中で、ロータリー財団奨学生の制度に辿り着いたのでした。今は引退されてしまっておりますが、富士ロータリークラブの加藤さんの所に、奨学生制度の事を聞きに行ったが始まりでした。加藤さんの経営されている会社の2階の事務所で、丁寧に色々と説明して頂いた事を今でも鮮明に覚えています。

4 ロータリーに関わったことを現在どのように思っていますか?

ロータリーの奨学生に選ばれたことは、本当に幸運であったと思います。そしてロータリークラブと、加藤さんを始めとするロータリアンの方々には感謝の一言です。学友の皆さんや、ロータリーの皆さんとの交流を絶やしたくないので、ロータリー関係の活動には今後とも積極的に参加させていただきます。

5 これからの夢や目標は?

健康である程度自由に活動できるのは、後長くて15年程度だと思います。この期間にやりたいことは2つあります。1)プレイバックシアター:このアメリカ生まれの即興劇の活動を仲間と共に東京と、愛知県の西尾市を中心に続けていくつもりです。2)放送大学への入学:留学時代もメーカー勤務時代も、数学の知識は必要でした。学生時代は、公式と例題を丸暗記して試験を通るが精一杯であり、会社勤めの時は結果を利用して目先の実務をこなすのに汲々としていた。こんな訳で、来年の4月から放送大学で数学を中心に腰を落ち着けて勉強をする予定です。